絵はがきに見る昔の比企・松山

 まだカメラが一般に普及していなかった頃、絵はがきという形で郷土の姿が写真に残されました。ここに市立図書館が所蔵する東松山市とその周辺の絵はがきを紹介します。なお、絵はがきを撮影したネガによるものも含みます。

坂東十番札所武州比企巖殿山風景繪はがき

 岩殿観音の絵はがきで大正末期のものです。絵はがきに「高坂駅より二十丁」という説明が付け加えられています。東松山駅・高坂駅が開通したのが大正12年ですので、その頃に印刷されたものと推測されます。ただし、写真自体の撮影年はもう少し遡る可能性もあります。

武州比企岩殿山千手観世音(岩殿観音堂)
武州比企岩殿山千手観世音(岩殿観音堂)
東松山市立図書館所蔵

岩殿山龍堂に於ける史蹟六面幢
岩殿山龍堂に於ける史蹟六面幢
・六面幢の立て札の文字
六面幢の立て札の文字
※「六面」の文字は書体まで読み取れます。六面幢は6板の板石塔婆を組み合わせもので、1枚欠失しています。左側に立て掛けてある板石がその1枚であったかどうかまではわかりません。
東松山市立図書館所蔵

岩殿山龍堂より見たる正法寺の全景
岩殿山龍堂より見たる正法寺の全景
岩殿観音仁王門屋根と石段
岩殿観音仁王門屋根と石段
※仁王門までの石段の距離が現在より長く、途中平らな踊り場が設置されているように見えます。
東松山市立図書館所蔵

武州比企岩殿山参道宗門橋(岩殿観音参道)
武州比企岩殿山参道宗門橋
岩殿観音参道を行く人影
岩殿観音参道を行く人影
※人影は自転車に乗っているようにも見えます。自転車だとしたら、この先の急坂は大変だったことでしょう。
東松山市立図書館所蔵

武州比企岩殿山不鳴ヶ池弁財天(鳴かずの池)
岩殿観音絵はがき外袋
・鳴かずの池のガス灯風のものは何?
鳴かずの池のガス灯風のものは何?
※その形からガス燈のようにも見えますが、神社によくある灯ろうの一種ではないかと思います。
東松山市立図書館所蔵

武州比企岩殿物見山全景
武州比企岩殿物見山全景
物見山の途中で佇む人
物見山の途中で佇む人
※前掛けをした和服の女性は何を見ているのでしょうか? 座っている男性二人は何を話しているのでしょうか?
東松山市立図書館所蔵

武州比企巖殿山つゝじ
武州比企巖殿山つゝじ
東松山市立図書館所蔵

岩殿観音絵はがき外袋
岩殿観音絵はがき外袋
東松山市立図書館所蔵



参考文献

岩殿山案内
 渡邊巖編集 文耕社活版所 1918
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H291イ(館内閲覧のみ)

岩殿観音と門前集落 東松山市の古建築調査報告
 東松山市教育委員会 1980
 市立図書館所蔵 請求記号:H185イ(館内閲覧のみ)

比企岩殿観音とその門前町 歴史民俗資料調査報告書
 埼玉県立博物館 1993
 市立図書館所蔵 請求記号:H291ヒ(貸出用あり)

正法寺−東松山− (さきたま文庫15)
 柳田敏司監修 小峰啓太郎文・写真 吉田隆夫写真教育 さきたま出版会 1990
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H188コ(市立:館内閲覧のみ 高坂:貸出用あり)


松山いろは堂発行松山名所

 以下の写真は「写真集明治大正昭和東松山」(1981年 国書刊行会刊)編集の過程で撮影された写真の記録ネガの中から「絵はがき」であることが判明できたものを紹介したものです。その一部が前書に掲載されています。その説明文から一連の写真は明治末期から大正にかけて撮影されたものと推測されます。なお、絵はがきの発行元「松山いろは堂」についての詳細は不明です。

松山町ノ景(松山名所)
松山町ノ景(松山いろは堂製)
「写真集明治大正昭和東松山」p5掲載、「四ツ角北から本一方面を望んだ…(中略)…大正三年。」という記述があります。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

松山町軍隊通過(松山名所)
松山町軍隊通過(松山いろは堂製)
「写真集明治大正昭和東松山」p153掲載、前の写真とほぼ同じ場所を同じ日に撮影したもののようです。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

松山上沼(松山名所)
松山上沼(松山名所)
「写真集明治大正昭和東松山」p72掲載、「中央の木橋は現在の眼鏡橋(大正六年建設)となっている」という記述がありますが、その眼鏡橋も上沼を公園に整備した際に取り外され、その一部が公園の壁に埋め込まれています。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

箭弓神社(松山名所)
箭弓神社(松山名所)
「写真集明治大正昭和東松山」p60掲載、社殿の前に「鳴かずの池」に写っていたものとほぼ同じ形の灯ろうが確認できます。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

松山神社(松山名所)
松山神社(松山名所)
前の絵はがきが「いろは堂製」とあるのに対し、この絵はがきは『いろは堂発行』とあります。他の絵はがきとは発行時期が異なっているのかもしれません。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

成田山(松山名所)
成田山(松山名所)
「発展の武州松山」(1925刊)に成田山の広告が掲載されており、「かんの虫封じ」「むしばのまじない」「六さんよけ」「人事百般みくじ判断」とあります。お堂は不動横町の五差路の交差点のところに今もあります。
提灯の文字と人影
提灯の文字と人影
提灯の文字は判別しがたいながら「成田山」のように見えます。お堂の縁側に立っている人は住職でしょうか?
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

松山町役場(松山名所)
松山町役場(松山名所)
「写真集明治大正昭和東松山」p31に掲載されています。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

比企郡役所(松山名所)
比企郡役所(松山名所)
「写真集明治大正昭和東松山」p31に掲載されています。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

松山町市川釣橋(松山名所)
松山市川釣橋(松山名所)
「写真集明治大正昭和東松山」p66に掲載されています。百穴前の市野川にかかっている橋ですが、現在は別の橋に架け替えられています。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

高荘館及び岩室山(松山名所)
高荘館及び岩室山(松山名所)
左の屋根か覗いている建物は「岩室観音」ですが、次の写真の高荘館とは位置が少し離れています。当時は岩室山側の岩山にも高荘館(別館?)を作りかけていたのでしょうか?
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

高荘館(岩窟ホテル)
高荘館(岩窟ホテル)
「写真集明治大正昭和東松山」p67に掲載、写真の人物個人でが岩を掘り上げて作ったもので、現在内部は公開されていません。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

物見山 松山名所
物見山 松山名所
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

比企郡教育品展覧会場(奥田比企郡教育会頭)
比企郡教育品展覧会場(奥田比企郡教育会頭)
「写真集明治大正昭和東松山」p50掲載、建物は明治44年5月に完成した「松山第一尋常高等小学校」です。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

参考文献

写真集明治大正昭和東松山 −ふるさとの想い出224−
 利根川俊吾編著 国書刊行会 1981
 市立図書館所蔵 請求記号:H211シ(館内閲覧のみ)

武蔵松山案内(コピー製本)
 横尾本瑞編集 文耕社活版所 1911
 市立図書館所蔵 請求記号:H291ム(館内閲覧のみ)

発展の武州松山
 福田米吉編集 文耕社活版所 1925
 市立図書館所蔵 請求記号:H291ハ(貸出用あり)

その他の絵はがき

 同じく「写真集明治大正昭和東松山」(1981年 国書刊行会刊)編集の過程で撮影された写真の記録ネガの中から「いろは堂以外の絵はがき」と市立図書館で所蔵している古い絵はがきを集めてみました。

松山第一尋常高等小学校(カヅサヤ発行)
松山第一尋常高等小学校
大正12年頃の松山第一尋常高等小学校の校舎(明治44年落成)と校庭です。
遊具で遊ぶ子どもたち
遊具で遊ぶ子どもたち
拡大すると校庭で遊具に登って元気よく遊ぶ子どもたちの姿が確認できます。
東松山市立図書館所蔵

埼玉県立比企中学校(カヅサヤ発行)
埼玉県立比企中学校
写真は大正12年3月に竣工した県立中学校です。校名が決定していなかったため、「埼玉県立比企中学校」と記載されているようです。建物の一部は、現在の松山高校記念館として現存しています。
東松山市立図書館所蔵

埼玉県立比企中学校(カヅサヤ発行)
埼玉県立比企中学校
比企中学校の「比企」を「松山」に修正した跡がうかがえます。松山中学校は後の松山高等学校です。
正門の前に4人の人影
中学校の正門前に正面を向いている人影4名が確認できます。
東松山市立図書館所蔵

埼玉県立比企中学校(カヅサヤ発行)
埼玉県立比企中学校

東松山市立図書館ネガ所蔵

松山町外五ヶ村連合消防組喞筒放水実景上沼(其一)
松山町外五ヶ村連合消防組喞筒放水実景下沼(其二)
※喞筒(そくとう)とはポンプのことです。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

松山町外五ヶ村連合消防組喞筒放水実景下沼(其二)
松山町外五ヶ村連合消防組喞筒放水実景下沼(其二)

東松山市立図書館接写ネガ所蔵

県社箭弓稲荷神社(表参道)
県社箭弓稲荷神社(表参道)

東松山市立図書館所蔵

県社箭弓稲荷神社境内(宇迦御魂社及神狐)
県社箭弓稲荷神社境内(宇迦御魂社及神狐)

神狐 本物の狐
・神狐 本物の狐
背景に高い柵が見えます。箭弓稲荷神社境内に本物の狐を飼っていたいうことを噂では聞いたことがあります。本当に狐がいたことがあるのですね。
東松山市立図書館所蔵

県社箭弓稲荷神社・皇太子殿下御降誕記念館
県社箭弓稲荷神社・皇太子殿下御降誕記念館

東松山市立図書館所蔵

県社箭弓稲荷神社・南神苑其一
県社箭弓稲荷神社・南神苑其一

東松山市立図書館接写ネガ所蔵

県社箭弓稲荷神社(神苑ノ牡丹)
県社箭弓稲荷神社(神苑ノ牡丹)

ぼんぼり広告の文字
ぼんぼり広告の文字
鯨井洋服店、杉田時計店の文字が判別できます。杉田時計店は「発展の武州松山」の巻末広告(37p)で、鯨井洋服店は「東松山市商工名鑑1964」(p48)でお店の存在を確認できます。

東松山市立図書館所蔵

埼玉県松山郵便局
埼玉県松山郵便局
「写真集明治大正昭和東松山」p32〜33に掲載
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

株式会社第八十五銀行松山支店外観
株式会社第八十五銀行松山支店外観
「写真集明治大正昭和東松山」p119に掲載。奥の建物は銀行の倉庫で、平成25年現在、市の文書庫として使われています。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

株式会社武州銀行松山支店全景(浦和佐波寫)
株式会社武州銀行松山支店全景(浦和佐波寫)

「写真集明治大正昭和東松山」p121に掲載。「発展の武州松山」(1925刊)に広告が掲載されています。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

坂東十番岩殿山全景
坂東十番岩殿山全景
「写真集明治大正昭和東松山」p122に掲載。坂東拾壱番の「壱」の字を消して修正しています。ちなみに坂東11番札所は「岩殿山安楽寺(吉見観音)」です。
東松山市立図書館接写ネガ所蔵

武州松山名所・吉見百穴
武州松山名所・吉見百穴
明治40年頃の写真です。次の写真(昭和初期)と比べると手前に建物が無かったことがわかります。
東松山市立図書館写真接写ネガ所蔵

埼玉県吉見百穴全景 内務省指定(百穴事務所)
埼玉県吉見百穴全景
後に紹介する写真に写っている注意書きの年月表示から昭和4年より後です。右からの横書きが使用されたのは昭和20年頃までです。したがって、この写真は昭和4年〜20年の間のものと推測されます。
東松山市立図書館所蔵

百穴の一部 内務省指定埼玉県吉見百穴(百穴事務所)
百穴の一部
コロボックル住居といわれたりしたこともありましたが、古墳時代の横穴墓です。
東松山市立図書館所蔵

シーボルトの自署 内務省指定埼玉県吉見百穴(百穴事務所)
シーボルトの自署
明治11年、オーストリア公使ヘンリー・シーボルト(長崎で蘭学を教えた医師シーボルトの次男)が見学に訪れたという記録があります。Sieboldと刻まれていると思われますが、読み取れるでしょうか?
東松山市立図書館所蔵

光蘚(ひかりごけ) 内務省指定埼玉県吉見百穴(百穴事務所)
光蘚
注意書きの立て札に「昭和四年十二月」とありますので、写真撮影はそれ以降と言うことになります。
東松山市立図書所蔵

参考文献

写真集明治大正昭和東松山 ふるさとの想い出224
 利根川俊吾編著 国書刊行会 1981
 市立図書館所蔵 請求記号:H211シ(館内閲覧のみ)

武蔵松山案内(コピー製本)
 横尾本瑞編集 文耕社活版所 1911
 市立図書館所蔵 請求記号:H291ム(館内閲覧のみ)

発展の武州松山
 福田米吉編集 文耕社活版所 1925
 市立図書館所蔵 請求記号:H291ハ(貸出用あり)

箭弓稲荷神社 さきたま文庫60
 柳田敏司監修 岡田潔文 さきたま出版会 1975
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H175オ(貸出用あり)

箭弓稲荷神社御社殿 写真集
 松本十徳著 箭弓稲荷神社 1990
 市立図書館所蔵 請求記号:H175マ(貸出用あり)

箭弓稲荷縁起 大活字ふるさとの昔ばなしシリーズ7 比企
 東松山市立図書館 1989
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H388ヤ(貸出用あり)

松山稲荷御利生新話
 十返舎一九著 小峰啓太郎編著
 東松山市立図書館 1989
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H175ジ(貸出用あり)

吉見の百穴
 金井塚良一著 吉見町役場 1975
 市立図書館所蔵 請求記号:H218ヨ(館内閲覧のみ)

吉見の百穴 改訂版
 金井塚良一著 吉見町役場 2001
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H218カ(貸出用あり)

吉見の百穴−北武蔵の横穴墓と古代氏族−
 金井塚良一著 教育社 1986
 市立図書館所蔵 請求記号:H218カ(貸出用あり)

吉見百穴横穴墓群の研究
 金井塚良一著 校倉書房 1975
 市立図書館所蔵 請求記号:H218カ(館内閲覧のみ)

百穴の記
 鈴木弘恭著 1895
 市立図書館所蔵 請求記号:H218ヒ(館内閲覧のみ)


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